★★★★ 批判や悪口の多い人の心理 スマホ疲れのため読書で調べる

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最近、スマホの使い過ぎで目が疲れてきたので、本日はネット検索でなく、心理学の本を読んで、我流で分析することにした。

 

ツイッター等のSNSやブログをみていると、過剰な批判や悪口を良く見かける。

 

中には事実で、正論と思われるようなこともあるが、そうした他人をディスる、または自分をディスる人というのは、一時的なものではなく継続的にディスる事が多い。

 

ディスるの意味や使い方 Weblio辞書

 

 

そこで、そうした人をディスる人には何らかの心理が働いているのではないか?と考えた。

 

ディスる人のことを、性格が悪いとか、フラストレーションが溜まっていると一言で済ませることが多い。

 

もちろん、他人にそこまで関わっている時間もなければ義務もない。だから一言で片付けてしまう。

 

しかし、ディスられて気分がいい人はいないし、ディスる事によって何か得られるものがないのであれば、極力ディスる事はしない方が良いはずである。

 

それでも、このネット上にネガティブな言葉が溢れかえっている。しかし、せっかく人間が世の中を便利にするために作ったインターネットという文明ですから、気分良く使いたいものです。

 

そこで、心理学からその糸口を見つけられないだろうかと読書を始めることにした。

 

 

本を読む前に一つ言えることは、人をディスることで心を安定を得る手段としていることは間違いなさそうだ、と考えていた。

 

 

その中で一つ気になったフレーズがあった。写真の本の中で著者 長住哲雄氏が言う「隠したい自分」というものが、誰しも持っている。

 

例えば、幼少の頃に「弱虫」となじられた経験から、弱い=改善しなければならないのと同時に、弱い自分というものを隠さなければならなくなります。

 

改善しきれるのが理想ですが、どこまでいけば、改善出来たといえる基準はないため、次にすることは「弱虫な自分を隠す」ということになります。

 

こうした劣等感は自分が弱虫であると思われたくない(自分でも自分を弱虫であると思いたくない)ことから、何かあれば、大声を出して虚勢を張ったり、ケンカをしたりするようになります。これの度が過ぎれば、犯罪すら犯しかねないのです。

 

 

もう一つの例として、ナイスボディのNさんの話です。中学生の頃に男子達から浴びせられた「デブ」という言葉が、心の傷として残ってしまいました。

 

「太っていることは醜い、醜い自分は隠さなければならない」と思うようになったNさんは極端なダイエットを繰り返しては激ヤセするという生活を続けるようになり、後ににナイスボディのNで名が通るようなモデルになりました。

 

しかし、そんなNさんの人間関係はある顕著な傾向が見られます。それはNさんが人を体形など外見だけで判断する傾向です。

 

「あんな太った人はダメ、あの体形じゃ服が泣くわね」等、まるで江戸の仇は長崎で打つと言わんばかりのあからさまな口撃で周囲を辟易させているNさん。

 

思春期の苦い思い出と共に「隠したい自分」が他人への過剰な攻撃となって表れているのでしょう。

 

 

ツイッター等のつぶやきは、短文で使いやすく、広まりやすい特徴を持っています。

 

これは、「隠したい自分」を攻撃に変える良いツールということになってしまいます。SNSの長所と短所は表裏一体であると言えるだろう。