人を批判する前に、情報収集しよう。

現代用語である「意識高い系」というのは、褒め言葉だと最近までそう思っていた。

 

しかし、どうも意識高い系はウザい等、良い意味で使われてないような気がしてきたので、改めてWikipediaで調べたところ、やはりそういうことだった。

 

 

意識高い系とは、意識(だけ)高い系ということだそうです。意識は高いが、空回りしてる人を揶揄する言葉であるそうです。

 

 

しかし、自分がもしかしたら、意識(だけ)高い系だと思われてる人は恥じることはありません。

 

 

意識が高いという部分だけに関しては間違いなく褒め言葉であり、後は空回りの対策を考えれば良いだけです。

 

 

なぜなら、意識を変えることは物理的には難しくないように思えますが、意識を変えることは大変なエネルギーが必要である。

 

 

また、考え方を変えるということは非常に勇気が必要であります。意識高い系を批判してる人は、意識も低いし実績もない訳ですから、意識高い系の人よりも苦労するだろう。

 

 

意識だけ高い系が嫌いだというなら、そういう人と付き合わなければ良いし、企業が意識だけ高い系の学生が多くて困るというなら、しっかりと教育するか、それが出来ないなら採用しなければ良いのです。

 

また、私のように専門知識に乏しい者が経済や政治、また哲学的な持論を唱えるとは、まさに、知識はなく意識だけ高い系といえるのではないだろうか?

 

 

ただ、現在そのような意識であることを記録しておくことで、これを他の人が見て参考にしたり、反面教師にしたり、役に立たない情報だと知ったり、過去の自分を省みることができるのではないかと考えています。

 

 

前置きが長くなりましたが、人を批判する前に情報収集しようというタイトルについてですが、情報収集が面倒であるなら、批判すらしない方が良いでしょう。

 

 

先日の参議院選でN国党の立花さんがNHKの演説でNHKをぶっ壊せと叫んでいたのをみて、「たいしたパフォーマンスだな、訳のわからない、キ○おじさんが叫んでるよー、変な政党が出てきたな」なんて批判的な視点でみていました。

 

 

しかし、立花さんの過去の動画をみていると、しっかりとした目的を持っている事がわかりました。

 

公約はNHKをぶっ壊すというただ一つですが、公約違反の政治家が多い中で、出来ない約束はしないという考え方を持っています。

 

 

しかし、現在の日本の状況を政治的な部分から変えようと新しい政党を支持してもらうためには、あのようなパフォーマンスも必要でしょう。

 

 

どんなに素晴らしい思想や能力を持っていても、国民に知って貰わなければ政権はとれませんからね。

 

 

人間が少ない情報で物事を判断することは、効率の良さが求められる場面では必要な能力になりますが、人を批評する場合は、それ相応の情報収集が必要なのではないでしょうか?