★★★★危険な正論魔 良い正論と悪い正論

正論魔は、その正論ゆえに尊敬されてしまう事があります。しかし、その人を本当に尊敬して良いのか今一度、考え直した上で参考にした方が良いでしょう。

 

 

全ての正論が悪いという訳ではありません。良い正論と悪い正論があります。

 

 

えっ?「正論に良い悪いがあるの?」と思うかもしれません。本来は「悪い正論は正論に有らず」と言いたいところですが、「論」の部分だけみると、「人間の心」というものが無関係になってしまうものが多い。

 

 

例えば、「嘘をつくのは悪いこと」というのは正論だが、「例外は認めない」と言えば、それは人間の心が無関係な正論になってしまう。

 

 

しかしながら、嘘をつくことが思いやりになるケースもある。

 

 

末期がんの患者に例外なく「あなたは末期がんで助かりません」と正論をいう医者がいいのか?それとも「あなたは末期がんではありません」と嘘をつく医者が良いのか?

 

 

このように、どちらが正解か分からない、ケースバイケースの事例をとっても、白黒をはっきりさせないと気が済まないという理由で正論を押し付けると、心の問題を蔑ろにされてしまいます。

 

 

そうした「論だけの正論」と「人間の心の問題や、全体的な状況などを踏まえた上での正論」というのは分けて考えてみるべきでしょう。

 

 

人間の心といっても、目先の事や将来的な事を天秤に掛けて、厳しい選択をしなければならない事もあるでしょう。

 

 

正論と正論がぶつかり合う時は、その正論が「天秤に掛けて吟味し、煮詰まった正論」を選択する方が良いかもしれません。