目的
・なるべく他者に迷惑を掛けず、コストを最小限に幸福を感じる生活ができる価値観 に近づくこと。
ここでは追及する手段として以下のものはNGとします
・沢山勉強する
・宗教に入る
・仕事一筋になる
・投資で成功する
その他、長期間の努力や多大な時間が必要なものや、リスクの高いもの。
幸せの形は人それぞれだから、好きな事をしていればいい。この考え方は正しいようですが、それでは何も強制されてない比較的自由度が高い人であっても、自分は幸福ではないと思っている人が多いのは何故でしょうか?
健康上の理由だったり、仕事や人間関係が上手くいかないというのが原因であると思うからでしょう。しかし、ほとんどの人は、仕事も人間関係も選択できるし、特に病気はしてなくても幸せでないと感じてる人は多い。
人間同士のしがらみや仕事は簡単には変えられない、つまり事実上の自由がないとう状況と作っているのは、国でもなく他人でもなく自分自身ということになります。
常識や固定観念に縛られると、結果的にそうした自分で自分の首を絞める状況になってしまいます。
とはいえ、仕事も人間関係も、あまりコロコロと変えたくない、ある程度常識的な生き方をしたいと普通は考えるでしょう。
しかし、行動を変える前に考え方や価値観を変えるだけなら問題ないと思いませんか?
例えば、本当に仕事を辞めなくても「私は仕事を辞めるという選択もある」と考えるだけなら、何のリスクもありません。人間関係も、本当に切らなくても「私はあの人と縁を切るという選択ができる」と考えてるだけなら、後悔はしません。
本当に仕事を辞めた場合、人間関係が切れた場合、どれだけリスクを最小限に抑えるか
?そこだけ考えておけば良いでしょう。
考え方が変われば、やがて行動や態度も変わり、相手もあなたに対しての対応が良い方向に変わりやすくなるとも言えます。
結論
私は○○がしか出来ないという考え方を、「私は△△という選択も出来る」という考え方に置き換える。
生活に満足し、喜びを感じることが多く、悲しみや怒りといった嫌な感情をあ
まり感じないならば、その人の幸福度は高い。反対に、生活に不満があり、喜び
や愛情をほとんど感じず、怒りや不安のような嫌な感情を抱くことが多いならば、その人の幸福度は低い。(ボック 2011: 12)https://www.city.kusatsu.shiga.jp/shisei/kenkyu/chousakenkyu/24nendohokoku.files/51b675f2011.pdf
最後に
よく幸福はお金で買えると言われます。お金とは物やサービスに変えるためのツールです。ですから、(お金が多い=選択肢が多い)といことでお金=幸福という考え方が生まれてくるのでしょう。
そこは否定も肯定もしませんが、考え方の変更により、選択肢が増えるのであれば、それはお金を持つことに等しい価値があると言えるのではないでしょうか?