はじめに
この記事は筆者の経験と、にわか知識に基づき書いてあるもので、専門的な学説等の根拠は一切ありません。
しかしながら、もし専門的な知識に詳しい方がいましたら是非ともコメント頂けると幸いです。
面白い先生、面白くない先生。日常のことを面白く表現出来る人、出来ない人。 面白い番組、つまらない番組。面白いアニメ、つまらないアニメ。一体どこに差があるのだろうか?
ブロガーやユーチューバー、芸人など人気を糧にしている人々のみならず、恋愛や就職に成功したい人にとっても、非常に興味深いテーマであると思います。
まず、学生時代に人気のあった先生の傾向について考えてみます。
先生といえば、尊敬という単語がひとつ出てきますが、尊敬してるし面白い先生もいたし、尊敬はしてないけど面白い先生もいた。
また体育教師の身体能力が素晴らしい先生で尊敬はしているがあまり面白くない先生もいた。
すると、尊敬≠面白いということになる。
同様にバカ≠面白い、 頭良い≠面白い…等出てくる。
面白いの条件は単純ではないのかもしれない。
また、受け取り方により変わってくる可能性もある。
A先生は誰からも人気があるが、B先生はあまり人気がない。しかしB先生の一部のファンがいる。
お笑い芸人においても、いつも面白い人、だいたい面白い人、たまに面白い人、いつも面白くない人。そういうのありますよね。
すると、特定の人≠面白いということになり、今、面白い記事を書けなくて苦労をしている筆者自身にも、面白い記事を書けるチャンスがあるということになります。これは面白い発見と言えます。
筆者の中学生時代に、面白くない、気持ち悪いで評判の良くない鉄道マニアのC先生がいました。
しかし、私はクラスメイトとC先生は何故面白くないのか?ということを分析することが、やたらと面白いかったりしました。
この先生のように、面白くないと印象付いた先生の話は誰も分析しようとせず、またつまらない話をするだろうと結論付けてしまいます。
しかし、分析しているグループにとっては結果的に面白いということになっています。
しかし、それではどうも腑に落ちません。何故ならそれは、C先生が面白いのではなく、分析することが面白いだけではないか?
そう考えると、面白いとは、音楽で上手くハモった時の感動のように、複数の要素による調和が決め手になるとも言えるかもしれません。
面白い先生の話の一例
「今日さー、歩いてたら転びそうになってさー、踏ん張ったんだよ。それでさー、向こうから歩いて来た人がさー、大丈夫ですか?って近付いて来たんだよー。そしたら大丈夫ですって言いながらオナラしちゃったんだよ」 A大爆笑です。
これを仮にC先生が話をした場合、どうでしょうか?大爆笑の前にビックリしてしまいます。
ドン引きする人もいるかもしれません。
しかし、おそらくですが、上記に出て来た分析グループはB大爆笑すると思います。
Aの大爆笑はいつも面白いことを話してくれる②期待と、Bの大爆笑には③意外性という違いがありますが、ここでまた二つのキーワードが出て来ました。
また、つまらない話の代表例として学校行事に来る来賓挨拶です。
形式的なことを淡々と話すだけですから、それを分析することもないし、期待も意外性もありません。
つまり面白さとは
①受け取る側に分析(考えさせる)
②期待
③意外性
その他
の調和である(赤石説)
赤石説では、分析傾向のグループに対しは意外性のある話題が、ウケるということになります。
ということは、ブログはタイトルでターゲットを決めて、それぞれにあった文章構成にするというのが良いということになります。
最後に
一度だけの人生ですから楽しく面白く生きたいですよね。人それぞれ面白さの基準も違うと思いますが、対象の相手にとって何が面白いのか分析することも、ひとつの面白さであると筆者は考えます。
このテーマは私自身も非常に興味深いため、続編も書いていきたいと思います。