mixiが紹介制だった頃に利用し始めて、今年2019年に本ブログを始めるまでの間は数年ぶりに日記を書いたのですが、振り返ってみると、ニュース日記だけで何百も残っていました。
自分が何を言いたいのかよくわからない記事や、誰かの扇動に乗せられた、あの頃の自分は一体何を見ていたのだろうか?意味不明な主張や誤字脱字。削除したいものもありましたが、一件でもコメントいただきました記事に関しては削除はしていないつもりです。
その中でプチ炎上を起こした記事がありました。ただ、何百記事もありますので、どれが該当するか特定出来ませんでした。
したがって、記憶の中でのお話になりますが、自分自身が体験した中で少しばかり、炎上の経緯や仕組みなどが、一部わかるような気がしました。
まず、どのような記事だったか全く覚えていませんでしたが、時事ニュースに対して筆者の持論を述べるというのがスタンダードでした。
結構、政治的、宗教的なニュースに首を突っ込んでいて、日記は全体へ公開していましたから、初見の方からもコメントが多くありました。
その中で、筆者が何か勘違いをして持論を述べていた訳ですが、それに対してコメントをしてくれた、大半の方は、言葉の使い方が間違っていますよという指摘があった訳です。
筆者は、マイミク含め指摘して頂いた方々に、お礼のコメントをさせていただきました。
ほとんどの人は、ただ言葉の使い方間違っていますよという指摘だけだったのですが、一名だけ、言葉の意味が理解出来ないのだったらその件に対して論じる資格は無い。
つまり『お前が言うな』ということですね。
その方は、筆者が謝罪をしてるにも関わらず、何度もコメントしてきた記憶があります。
これは、筆者の記憶によるもので、確証は全くありませんが、炎上を起こす要因と特徴についてまとめてみました。
①炎上は、投稿者の誤解から起こるものもある。
②意図的な炎上でなければ、火付け役は一名、または少数。
③暴論より、勘違い混じりの正論みたいな持論が炎上しやすい。
③の勘違いが混ざると叩く口実が出来るし、火付け役の特徴は、もしかしたら、正論みたいな持論を不愉快に思ってるのかもしれません。
叩く口実が出来ると『お前が言うな』と堂々と言えるようになります。
経済のある用語を指して、それも知らない人間が経済を語る資格はない、政治的、宗教的なことでも同じこですが、そのように持論を牽制してくる方がたまにいます。
しかし、経済や政治というのは、私達人間が社会で生きてる限り誰もが参加しております。宗教の自由もあります。
社会がどのようにしたら良くなるのか?という持論を法律の範囲内でどう表現しようと自由ではないでしょうか?
難しい用語を知っている一部の人しか許さないことなのでしょうか?
そんな、議論を遠い昔にmixiを通して見ず知らずの方とした記憶を少し取り戻しました。
ブログやSNSのつぶやき等、あまり神経質になると何も書けなくなってしまいますが、正論であっても全員が納得する訳ではなく、不愉快に思う人も中にはいることを頭に入れておくと良いかもしれません。