二世タレント、二世政治家、二世経営者、どれもあまり良いイメージはありません。
どんなイメージかというと、低脳、無礼というイメージが強い。これには何か理由がありそうですね。
まず、一つ言えることは、親に比べて小さい努力で同じポジションにつけてしまうため、努力不足になりやすいことですね。
二世政治家や二世経営者はまさに、その通りで、これらの人に自分の労働力や血税を捧げる訳ですから、これは期待外れになりやすいですね。
しかしモノマネタレントは、実力が伴わないと認められませんから、親子でも熾烈な戦いをしているケースもあります。
このように、努力や能力がなくても、二世政治家、二世経営者になれてしまう。そんなボンクラが世の中を動かしているから、カリスマ性はありません。
中には、2代目が経営革新に成功したという事例もありますが、やはり二世は能力を磨く機会が少なくなってしまっている傾向があるのではないだろうか?
かくいう私も二世宗教家である。宗教名は伏せるが、生まれた時から、その宗教団体に属している。
母が、熱心な活動家であるが、私は非活動家である。私はその宗教団体からみれば、やはりダメな二世ということになり、二世論はとても実感が出来ています。
ですから、二世の目線でも二世論の正しさを説明することが出来ます。宗教活動というのは、他人に理解されるために様々な努力をしますが、目的は、自分や家族、ひいては全世界の人々の幸せの為です。
二世は初代の苦労している部分の一部しか見えません。ですから、人の幸せというものが、初代に比べて簡単に見えてしまうのです。
その結果、二世は人の幸せの為には宗教活動は必要ないという結論を出してしまいます。
もちろん二世で熱心な活動家の方もいますが、二世ということだけで、熱心な活動家だと勘違いされたりすることをありがたく感じたり、逆に重圧に感じたり、それぞれの体験等により、感じ方が違うだろう。
そのような、生活環境から二世宗教家は、物凄く熱心になるか、逆に非活動家になるか、極端になりやすいのではないかと思われます。
活動の誘いを受けても二世の非活動家はが活動家に変わることはほぼありません。宗教の意味や価値を決め付けてしまって、活動家になりたいというマインドがないからです。
これまでの話は二世本人の要因だけなのだが、二世をボンクラにしてしまう原因か初代や周囲の人々からもあるのだ。
初代は、親心というのだろうか、二世には苦労をさせないという意識が強い。そもそも、自分だげでなく、家族、皆んなの幸せのためというのがモチベーションとなり成功した面が強い。
たしかに無駄に思える苦労はあるかもしれない。それを省いてやりたいという親心が却って二世を経験不足にしてしまう。 その結果、低脳無礼な二世を生んでしまう。
また、周囲の人も二世だからと、遺伝的要素外の部分までも期待してしまったり、過度に敬ったりすると、二世は自分の能力を見誤ったりするのである。
政治家や経営者等、二世全般に言えることではないだろうか?
私も二世ボンクラ宗教家ですから言えますが、ボンクラ二世政治家やボンクラ二世経営者を変えることは、相当なレベルの挑戦であることは間違いないだろうということです。